邱炳南(邱永漢)は大学生になった昭和18年頃、

中国大陸には蒋介石を首班とし、重慶を首都とする

中華民国国民政府(重慶国民政府)と

汪兆銘を主席とし、南京を首都とする

中華民国政府(南京国民政府)が併存していました。

 

もとは汪兆銘も蒋介石と共に

国民党の幹部でしたが、

日本との和平が重要であると考えていた王は

日本に対する徹底抗戦を主張する蒋介石と対立し、

重慶を脱出して、昭和15年に南京を中心とする

中華民国政府(南京国民政府)を樹立していました。

 

そして汪兆銘側は日本との和平を通して

建国の道を求める「和平建国」を

スローガンろしたのに対し、

日本への徹底抗戦を主張する蒋介石側は

「抗戦建国」を掲げていました。

 

大学生の邱はこのような政治状況のなかで

どう考えていたのか、昭和33年1月に発表した

「職業としてのスパイ」によると

次のように書かれています。

 

「当時の情勢下では私は和平建国よりも

抗戦建国の正しさを信じ、同時に自分が頭デッカチで

何らの実践力を持っていないことを恥じていた」

(「職業としてのスパイ」。『金銭読本』に収録)

 

つまり、邱は汪兆銘の南京国民政府でなく

蒋介石の重慶国民政府を支持しており、

この思いを何らかの形で実現するために、

邱は下関から釜山に渡り、朝鮮半島を通って満州に行き、

満州から山海関をこえて中国に入る方法はないものかと、

考えたようです。

ただ、このプランを実行に移す前に

憲兵隊にとらえられてしまったのです。