東大経済学部の学生であった邱炳南(邱永漢)は

下宿で寝込みを襲われ、九段下の麹町憲兵隊に

わけがわからないまま、連行され、取調べを受けました。

 

「『お前は日本の船が次々と撃沈されて

海の水が砂糖で甘くなったとデマをとばしているそうじゃないか』

と向うは少しずつ知っていることを小出しにしてきた。

私がそういう冗談を口にしたことは事実であった。

それを喋ったのは、

私が親友と思って気を許していた同期生の一人であった。

彼は小石川の大邸宅に住んでおり、彼の父親は銀行の頭取であった。

きっとあいつはさんざ調べられて喋ることに困って、

よけいなことを喋ったに違いない、

と私にはすぐ合点がいった。

 

また『お前は大陸に帰りたがっているそうじゃないか』と聞かれた。

これも事実だった。私は大学を中退してでもいいから、

下関から釜山に渡り、朝鮮半島を通って満州に行き、

そこから山海関をこえて中国に入る方法はないものかと、

中国大陸の地図を出して何回も空想を逞しくしたことがあった。

 

その場面には厦門から汪政権の留学生として

同じ経済学部に来ていた一年下の中国人が立ち会っていた。

私が重慶に行きたがっているとか、

私が蔣介石の『中国的命運』をこっそり隠れて読んでいるとか、

 

あることないことこねまぜて憲兵に報告したのは奴に違いない。

憲兵からスパイの検挙に協力せよと言われれば、

これまたやむを得ないことであろう。

しかし、『お前は重慶のスパイだろう。

ちゃんと証拠はあがっているんだから』といくら凄まれても、

そういう事実がないのだから、

残念ながら相手に手柄を立てさせることはできなかった。」

(参考『我が青春の台湾・我が青春の香港』)

 

当時、台湾人、朝鮮人、それから中国大陸からの留学生は

すべて特高や憲兵隊の監視下におかれ、

邱が友人たちに話していたことが、

東大構内に張巡らされていた情報網に引っかかったのです。