東大経済学部の1年生の邱炳南(邱永漢)は

本郷追分の『西濃館』という賄いつきの下宿に

下宿していましたが、ときどき誰かによって

家探しされている気配を感じました。

そこで、農学部脇の素人下宿に居を移すことにしました。

 

「そうした雰囲気に溶けこみ、私はうかつにも我を忘れた。

私はこれまでも自分が

危険思想の持主であると思ったことはなかったが、

私を含めて

台湾人、朝鮮人、それから中国大陸からの留学生は

すべて特高や憲兵隊の監視下におかれていた。

本郷追分の『西濃館』という賄いつきの下宿に

六畳一間を借りて住んでいたが、

すでに戦時体制下におかれていたので、

外食券がなければ学生食堂や外のレストランで

食事をすることができなかった。

私はフランス語を勉強する必要を感じていたので、

本郷追分から都電に乗って水道橋にあるアテネ・フランセの夜学に通った。

フランス語の授業を終えて

大急ぎで二回都電を乗りかえて下宿に帰ってきたら、

七時をすぎることがしばしばあった。

下宿の夕食は七時でおしまいになるので、

私はしょっちゅう食事にありつけず、ひもじい思いをさせられた。

 

その上、不在の間に押入れの中のフトンの位置が時々、

違っているのが気になった。かねて先輩から

『気をつけろよ』と注意されていたので、

もしや特高が部屋の中をひっくりかえして

調べているのではないかと思った。

 

調べられても、検挙される証拠は何もないけれども、

私には禁書を読む楽しみがあった。

禁書といってもエログロ、ナンセンスの本のことではない。

経済学部に入ってマルクスやレーニンの本を読まないようでは

一人前ではないと台湾人の先輩から教えられ、

『資本論』とか、『ロシアにおける資本主義の発達』とかいった類いの本を

研究室から借りてきて、夜遅く部屋に鍵をかけてひそかに

読みふけっていたからである。

一ぺんに何冊も借りてきて、

『お前は共産主義者だな』とあらぬ難癖をつけられたのでは

やばいと思ったので、一冊ずつ借りて来て、

読み終わると、また次の一冊と取り換えて読んでいた。

新しく借りてきた本は、

思想と全く関係のない別の本のボール箱の中に入れ、

本棚の別の段に並べておいた。

特高の捜索の重点はよそから来た手紙だとか、

押入れの中に無線機をかくしていないか

ということに重点がおかれていたから、

本棚の中のトリックまで見破られることは少なかった。

 

それでも部屋の中を荒らされた気配が一度ならずあったので、

私は学生相手の専門の下宿屋に住むのは

やめにしたほうがいいと思うようになった。

ちょうど、しばしば夕食に遅刻してひもじい思いをしていたので、

それを□実に農学部の脇にあるシロウト下宿に引越しをした。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)