のちに台湾で台湾生まれの初の中華民国総統になった

李登輝は邱永漢の台北高校の同窓生です。

 

李は邱が東大に入学したと同じ

昭和17年10月に京都帝国大学農学部に入学ました。

そして1923年1月15日生まれだった関係で

1943年(昭和18年12月)に学徒出陣で入隊しました。

(参考上坂冬子著『虎口の総統李登輝おその妻』)

 

これに対して、邱は1924年3月28日生まれで

李より一歳下になるため

1943年(昭和18年)12月から始まった学徒出陣は免れ、

東大経済学部の研究室で本の整理にいそしむことになります。

 

「学徒出陣のあとの東大には、

兵隊検査に不合格だった病人と半病人と

そして私のような未成年しか残らなかった。

同期の経済学部の学生は三百五十名いたのが、

四十名ていどに減っていた。

 

その四十名にも

勤労奉仕の仕事が割り当てられることになった。

最初の頃は人手不足に悩む農家へ

麦刈りや田植えの手伝いにやらされたが、

そのうちに軍需省に動員されることになった。

私もそのつもりでいたところ、学生課から、

『君は台湾人だから軍需省に勤労奉仕に行くつもりなら、

教授の保証が必要だ』と通知してきた。

『どうしてですか』と聞いたら、

『秘密をもらすようなことがあったら困るからだ』

と言われた。

『ならば、軍需省に行かなくともよろしいのですか?』

と聞きかえしたら、

『その場合は経済学部の研究室に残って

本の整理の手伝いをすればよろしい』と言われた。

私は二つ返事で研究室に残りたい旨、申し出た。

経済学部には禁書に分類される本がたんとあって、

研究室に残れば、特高や憲兵に睨まれることなしに、

その中に顔を埋めて読書できることがはっきりしていた。

こうして私はたいていの若者たちが学徒動員されて、

ろくに勉強もできなかった時期に、

ひとり研究室に残って万巻の書をひもとくことができた。

私のマルクス、レーニンなどの左翼書に対する知識は

ほとんどこの時期に習得したものである。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)