邱炳南(邱永漢)は東大経済学部の学生として

北山富久二郎先生の「政治経済学」と

安井琢磨先生「理論経済学」の二つのゼミに出たが、

台北帝大から東大の先生になった北山富久二郎教授を

本音でぶるかれる指導者と仰ぎました。

 

「『政治経済学』の北山先生は、

山崎覚次郎先生の弟子で、

東大に戻る前は台北帝大で教鞭をとっておられた。

 

台北にいた頃も、

台湾の人たちに理解があるというので

台湾人の間で評判が高かった。

 

ちょうどその頃、大陸で暗躍していた

影佐機関のブレーン・トラストとして

汪精衛(汪兆銘)政権工作に深くかかわっていた。

 

私たち台湾人の学生たちが冷たい目で見ていた

日本帝国主義の侵略や和平工作を本気で

『日中和平への道』であると信じており、

根本的に意見の一致を見ることはむずかしかったが、

それでも本音でぶっつかり合うことのできる

ただ一人の精神的な指導者であった。

 

のちに先生は安倍能成先生が

学習院大学の学長になられた時、

舞出長五郎先生ともども学習院経済学部に移られたが、

どちらの大学でも卒業生の間に『北山会』という

先生を慕う学生たちの会が自然発生したから、

先生の人気のほどをうかがい知ることができる。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)