先に、邱永漢さん14歳から17歳までの年譜を見、
文学への傾倒振りを見ましたが、
邱さんより一つ年下である三島由紀夫さん
同じ年頃の活動はどうだたのでしょうか。

三島さんは1925年(大正14)の1月14日に
農林省に勤める平岡梓(ひらおかあずさ)
と倭文重(しずえ)の長男として
東京の四谷で生まれ公威(きみたけ)と名づけられます。

この三島さんの年譜が
三島由紀夫文学館に記載されています。
以下にこの三島さんの14歳から16までの
年譜を抜粋させていただきます。

1939年(昭和14)14歳           
1月18日 祖母・平岡夏子死去(享年62歳)
4月13日 中等科3年に進級。終生の恩師となる清水文雄が
         国文法と作文の担当教師になる。
9月28日 輔仁会(ほじんかい)手帳に
        「路程」などの執筆一覧を記す。

1940年(昭和15) 15歳       
1月1日 「心のかゞやき」執筆。
        「紫陽花」(あじさい)擱筆(かくひつ)。
3月    「公園前」「ラディゲ」擱筆。「鳥瞰図」(ちょうかんず)執筆。
6月14日 文芸部委員に選ばれる。「仔熊の話」擱筆。
9月14日 「でんしゃ」擱筆。
12月23日 「幼年時」起筆。

1941年(昭和16) 16歳
2月24日 東文彦あて書簡。
7月~8月上旬「花ざかりの森」の原稿を清水文雄に見せ、批評を請う。
8月21日 「真白な椅子」を起筆。
9月 「花ざかりの森」が「文芸文化」9月号から12月号まで、
      4回にわたり連載。このとき、初めて<三島由紀夫>の
     ペンネームを用いる。
9月17日 清水文雄にあてた書簡の下書き
        「これらの作品をおみせするについて」を書く。
        「心のかゞやき」「公園前」「屋敷」「ミラノ或ひはルツェルンの物語」
        「花の性および石のさが」の6作品を見せようとした。

年譜の中に「擱筆(かくひつ)」という言葉が
ありますがこれは「書き終える」ろいう意味です。
その反対が起筆で「書き始める」ことさしています。