いま株の話や不動産の話を聞きたくて
邱永漢さんにアプローチする人が多いと思いますが、
邱さんの文章や話に接するうちに
“邱さんて、どういうキャリアをへてこられた人なのだろう”
と思われる人が少なくないと思います。

こうした関心にこたえてくれるのが
邱さん70歳のときに刊行された
『わが青春の台湾 我が青春の香港』です。

この本のなかで邱さんは大学の進学に際して
次のように書かれています。

「私は東大の経済学部を受験する決心をしていた。
文学部でなくて、経済学部を選んだことは
学校のクラスメイトや教師たちを驚かせた。

私の文学かぶれはあまねく全校生に知れわたっており、
私が文学部にすすむのは当然のことだと思われていたからである。
私がそうしなかったのは、植民地台湾に生まれた私のような人間が
将来、文学を志しても生計を立てて行く自信がなかったからである。」

私がはじめてこの文章を読んだとき、
「私の文学かぶれはあまねく全校生に知れわたっており、
私が文学部にすすむのは当然のことだと思われていたからである。」
の二行がピンと来ませんでした。

しかい、2回にわけて紹介した高校生の頃の
邱さんおキャリアを確かめ、スッカリ納得しました。

自分で個人雑誌を発行するだけでなく
大人の仲間入りをして、文芸雑誌に投稿し、
また台湾の新聞に投稿したり、
さらに高校内の文芸誌にも投稿しているわけですから
高校内で邱さんの文芸への傾倒ぶりを
知らない人はいなかったでしょうね。

邱さんの『わが青春の台湾 我が青春の香港』での
二行の文章の意味が実によくわかりました。